往生際

前記事から4年半。

相変わらず辛い。

4年半前にこども達から受けた心のダメージの大きさに昨夜気づいたから。
納得したり許したつもりで本心は全く許せていない。

大嫌いだし、一緒にいたくないけど大好きで心配。

どっかがなくなれば楽なのに時間は解決してくれなかった。

望み①

望み 雫井脩介 箸 読了。

主人公、石川一登とその家族が住む街で少年リンチ殺害事件が起こる
時を同じくして一登の高校生の息子が行方不明となっていた。
事件と関係しているらしい。
被害者はもう一人いるとゆう噂がある。
息子は加害者として逃げているのか
被害者としてもう息をしていないのか。
加害者であったとしても生きていてほしい母親
殺人など犯すはずないと信じる父親
心理描写がとても苦しく自分なら何を望むのか考えてしまう物語。

殺人犯になってしまったかもしれない親のやるせなさや、未来への不安、覚悟。
息子がリンチの末、命を失ったかもしれない絶望どちらを選んでも崩れる日常。

この本を手に取ったのは
程度は違えど
子供に対して加害者、被害者ならこちらであって欲しかったとゆう体験が何度もあったから。
学校で意見の食い違いからお互い手が出たって時限の話だったり、
ただただ息子が悪い事もあった。
その度、相手方に謝罪を繰り返してきた。
親の責任を果たさなければ。
息子が自分の行動は間違っていたと気づかせなければ。
謝罪の姿を見て息子が何を感じたのか息子の態度からは正直わからなかった。

徐々に学校からの電話が恐くなり、
本心では放課後に遊びに行くのを止めたくなるような気持ちを抑えて過ごしいてる。

加害者になった場合
何故やったのか
何がダメだったのか
どうすれば良かったのか
とゆう事を子供に理解させ、親が状況を把握した後に相手方への謝罪に向かう。
ただ子供相手だとこの作業は非常に時間を費やす。
被害者になった時も状況把握、どうすれば揉めなかったか等話はするが
加害者側が大体の話を持ってきてくれるのか否かは別としても相手の出方を待つ分、幾分気持ちは楽なのであった。

要は私は子供には被害者であって欲しいと安易に思っていた。

ただ読み物として客観的にどちらの立場を望むのか考えたらこれはどちらも無い。

トラブルを起こすでも巻き込まれるでも無く過ごして欲しい。
有事にはここまで大事になる前に相談できる子に育てなければと思い直すキッカケになった。

子供の手伝いと愛情不足

うちは小学生年子の子供が3人いて
夫婦共働きで年中家事が溜まってる。

そんな中、子供のお手伝いに対してよく考える
ネットで見ても賛否両論あったりするけど
私はこう思う。

親が働いて維持している家で衣食住をする以上
家の家事はお手伝いではなく、むしろ子供の仕事である。
勿論火を扱ったり危険の伴う事はさせない前提で。

自分で言ってて昭和っぽいなと感じるし
子供達には全く理解されず結局自分ですることの方が多いけど(笑)
でも核家族で仕事後に各家事の事をこなすには
いかんせん時間が足りない。
子供の宿題も皿を洗いながら、雑談も学校のお便りをチェックしながら、目の合う瞬間の少ないこと。
一息ついた時には子供達は既に就寝。

私と旦那が平日やってる事って当たり前の事だけど、
全部家族のためで、愛があってこそやり続けられる事。
それらを子供は愛情だとは思いもしないから
言われた言葉は長男の
【僕は誰にも愛されていないんだ】

だったらコミュニケーション取れる時間を作ってくれよぉぉお!!
水切りカゴの中身しまって皿洗いまでしててくれりゃ30分はゆっくり出来るわ!!
ってのは言わないけども
子供の求めてる愛情と親の示してる愛情はイコールではないんだなと気づいた出来事